コラム紹介 (Hamzehpoor, 2025 Science)

How a Ph.D. is like riding a bike


研究論文ではなく,Science誌の"Career"のコラム.


このコラムは,筆者の博士課程での経験を自転車に乗る事になぞらえて語るものである.


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本コラムの筆者は博士課程3年目の時,自分自身の能力に自信をなくし,アカデミアの世界に向いていないのではないか?と不安を感じていた.何ヶ月も抱え込んでいたストレスや疑念を,ついに指導教員のオフィスで打ち明けた.

筆者の指導教員は,筆者の話を辛抱強く聞いた上で,「あなたは自転車を発明するためにここにいるのではなく,自転車の乗り方を学ぶためにここにいるのだ」という言葉を返した.この言葉は,筆者の博士課程に対する考え方を根本から変えたという.


* 「自転車の乗り方を学ぶ」がもたらした変化

筆者は,家族の中で初めて大学を卒業したため,常に「先頭を走る」プレッシャーを感じていた.そのプレッシャーから,博士課程に進学する際も,学びのために来た学生ではなく,すでに完成された研究者として,自分を見せようとしていた.

しかし,博士課程に入ってからは,学業だけでなく,異文化や経済的なストレスにも直面する.1年目の授業はかろうじて合格したものの,2年目と3年目の奨学金申請はことごとく却下された.研究もうまくいかず,革新的なアイデアを出そうと試みても壁にぶつかり続け,他の学生たちから大きく遅れをとっているように感じていたという.

筆者の友人や家族は、これまで成し遂げてきたことを思い出すよう励ましてくれ,大学の専門アドバイザーも,他人と比較するのをやめ,博士課程の候補者であること自体がすでに意味のある成果だと教えてくれた.だがそれでも,自己不信の影は消えなかった.

指導教員との面談の後,筆者は画期的な研究を追求することばかりに焦点を当てていた自分の考えが間違っていたことに気づいた.アカデミアの競争的な環境に気を取られ,博士課程の本来の目的である「研究のやり方」と「研究者として成功する方法」を学ぶことを見失っていたのである.


* 博士課程修了,そして次のステップへ

この気づきを得て,筆者は指導教員や先輩の助けをより積極的に求めるようになった。アイデアを早期に相談し,フィードバックをもらうことで,研究は進展し始めた.論文発表や生産性へのこだわりが薄れ,成功か失敗かにかかわらず,すべてのプロジェクトが意味のある一歩となり,プレゼンテーションで共有する価値のある経験になった.

この面談から2年後、筆者は多くの貴重な経験と協力的な同僚のネットワーク,そして誇れるCV(履歴書)を持って博士課程を修了した.

その後,ポスドクとして,指導教員の言葉を借りれば,「自転車を最終的に発明するためのツールを少しずつ集めながら,乗り方を極める」ことに専念した.生産性だけに注目するのではなく,指導教官と密に連携し,実験技術,助成金申請,リーダーシップといった基礎的なスキルを磨いたという.その過程で,筆者の研究も大きく進み,新しい自転車の初期段階となる発見に至り,後輩たちがさらに乗り方を学ぶための土台を築いた.

現在,筆者は自身の研究室を立ち上げようとしている.「自分の自転車」を設計し,発明する準備ができたと感じている.そして,同じくらい重要だと考えているのは,自身の研究室の学生たちに,まず最初に「自転車の乗り方」を学ぶことが彼らの仕事なのだ,と伝えることだ.


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このコラムは,博士課程の目的の再定義という観点で,考える材料を提供してくれていると思う.「自転車を発明するのではなく、乗り方を学ぶためにここにいる」という言葉は,博士課程の(理想的な)本質を示している,良いフレーズだなと感じた.成果を出すことに拘りすぎるのではなく,研究者としての基本的なスキル(知識の習得、研究手法、論文執筆など)のディベロップメントこそが重要であるというメッセージは,その通りだと感じさせる.現在プレッシャーを感じている学生にとっても救いになるかもしれない.

また,個人的に非常に重要だと感じるのは,指導教員に助けを求めることの重要性である.私自身の経験でもそうなのだが,指導教員への(研究そのものではない)個人的な相談というのはえてして非常に躊躇われるものだけれども,困難な状況において誰に助けを求めるべきか・誰の助けが必要か?と考えると,結局のところ指導教員の存在は非常に大きく,そこを避けて通ることは不可能ではないにしても,大きな障害がないのであれば,まず指導教員に相談するのが合理的だろう.もし,不幸にもこのコラムの筆者のように理解ある指導教員に恵まれていなかったとしても,自分のキャリアを考える上で環境が健全ではないことを確認できるのは,また別の意味で重要だろう.場合によっては,環境やリソースに応じて進路を再考することも,前に進むための重要なステップとなる.


一方で,もちろんこのようなコラムは「生存者バイアス」の典型例であるので,「成功した人の話」であることを理解する必要がある.「生産性へのこだわりを捨てて学びを重視する」という姿勢により成功する,というのは美しいけれども,相応の成果がなければ研究室を立ち上げられる可能性は低くなる.そもそも成果があっても研究室を立ち上げられるとは限らないのがアカデミア全体の厳しい現実であるので,成果主義に否定的な立場を取って人生設計が出来なければ元も子もない.筆者が最終的に「誇れるCV」を手にしたことに結果論的側面が少なからずある事は否定できないだろう.



以前から,博士課程は,自転車に乗るというよりも,登山のようなものであると思っている.(何となくではなく,ちゃんと理由もある.)そのうちどこかに書いてみるかも.






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