論文紹介 (Juanchich et al. 2025 NCC)

Negative verbal probabilities undermine communication of climate science

Juanchich, M., Teigen, K. H., Shepherd, T. G., & Sirota, M. (2025). Negative verbal probabilities undermine communication of climate science. Nature Climate Change, 1-7.


気候変動のリスクを伝える際に使われる"unlikely"(ありそうにない)のような否定的な確率表現は,意図せず科学者間の合意や科学的根拠の信頼性を低く感じさせる可能性がある.本研究は,一般市民を対象にした実験を通して,否定的表現と肯定的表現(「小さな確率がある」など)で将来気候予測がどのように認識されるかを比較したもので,科学コミュニケーションにおける言葉遣いの重要性を示している.


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背景と問題意識

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は,科学的不確実性の伝達を統一するため,確率に対応した verbal probabilities(言葉による確率表現)を定めている.

たとえば,発生確率が33%未満の事象には"unlikely"(ありそうにない)のような否定的な表現を用いるよう推奨している.この指針は,欧州食品安全機関(EFSA)や北大西洋条約機構(NATO)など他の国際機関にも共通する.

The following terms have been used to indicate the assessed likelihood of an outcome or result: virtually certain 99–100% probability; very likely 90–100%; likely 66–100%; about as likely as not 33–66%; unlikely 0–33%; very unlikely 0–10%; and exceptionally unlikely 0–1%. Additional terms (extremely likely 95–100%; more likely than not >50–100%; and extremely unlikely 0–5%) are also used when appropriate. (IPCC AR6 WG1 SPM)

しかし著者らは,この「否定的な確率表現」が,科学者の合意やエビデンスの強さに関する一般市民の認識を無意識のうちに損ねている可能性を指摘する.言い換えれば,科学的に正確な表現であっても,その語調が「不一致」や「不確かさ」を連想させる場合,人々はその知見自体を信頼しにくくなるのではないかという問題意識である.


理論的背景

言葉による確率表現には,"affirming directionality"(肯定的方向性)と"refuting directionality"(否定的方向性)がある.前者は"a small probability"(小さな確率がある)のように事象の発生可能性に焦点を当てるのに対し,後者は"unlikely"(ありそうにない)のように発生しない可能性に注意を向けさせる.

この違いは文脈的な推論に影響する.たとえば,"There is a chance of flood, because..."(洪水の可能性がある,なぜなら…)という文は洪水を起こす理由で補われるが,"It is unlikely there will be a flood, because..."という文は洪水が起きない理由で補われる傾向がある.
否定的方向性はまた,日常会話において「他者の主張に異を唱える」際に用いられることが多い.

したがって,"unlikely"という表現が使われると,たとえ確率が数値的に同じであっても,聞き手は「科学者の間で意見が割れている」「十分な根拠がない」といった印象を受けやすいと考えられる.

さらに,否定的表現は極端な事象と結びつきやすいことも知られている.人は"unlikely"と言われると,モデルの想定範囲外の極端な結果を思い浮かべる傾向があり,そのため表現自体が「非現実的」「根拠が乏しい」という印象を生む可能性がある.


研究の目的と方法

著者らは,この仮説を検証するために,8つの事前登録済み実験(合計4,150名)を実施した.

いずれの実験も,温暖化や海面上昇などの気候事象に関する短い記述を提示し,確率表現(否定的 vs 肯定的)の違いが次のような認知に与える影響を調べた.

  • 科学者間の合意度(scientific consensus)
  • 科学的根拠の強さ(scientific evidence)
  • 注意の向き(発生するか/しないか)
  • 極端な事象との結びつき

肯定的表現としては"a small probability" "a small possibility",否定的表現としてはIPCCが推奨する"unlikely" "the likelihood is low"を用いた.また一部の実験では,"likely"(起こる可能性が高い)など補完的な表現や数値確率(例:10–33%)も比較対象に加えた.


主な結果

1.否定的表現は「不一致」を示唆する

参加者は,否定的な確率表現を用いた科学者を「他の科学者と意見が異なる」と判断する傾向を示した.数値確率としては両者が同等(約20%)であっても,"unlikely"と言われた場合の方が「科学的合意が低い」と感じられた.


2.否定的表現は「極端な結果」を連想させる

海面上昇の例では,"It is unlikely that sea level will rise..."という表現を見た参加者は,モデル範囲外(1m超など)の極端な結果を回答する傾向が強かった.一方,"There is a small possibility of sea level rise..."では,より現実的な範囲の値が選ばれた.


3.肯定的表現は「科学的根拠が強い」と受け取られる

新聞見出し形式の実験では,"a small probability"と書かれた記事の方が,"unlikely"と書かれた記事よりも「科学的証拠に基づいている」と評価された.特に「温度上昇」に関する内容でこの効果が顕著であった.


4."likely" 表現の過剰使用も別の問題を孕む

IPCC報告書を分析したところ,"likely"は"unlikely"の26倍多く使われていた.これは否定的表現を避けた結果であるが,「高い確率で起こらない」といった否定の含まれる"likely not"表現は,逆に合意度を低く見せる場合がある.


5.数値表現は最も一貫して信頼を得やすい

「10–33%の確率で発生する」といった数値的表現は,言葉による表現よりも科学的・中立的とみなされる傾向が強かった.


6.個人の信念による違い

気候変動を深刻と考える人ほど,否定的表現の影響を受けにくかった.一方,温暖化への関心が低い人では,"unlikely"と聞いた瞬間に「それほど確かではない」と感じる傾向が強かった.


議論

これらの結果は,「不確実性の存在を認めること」自体よりも,それをどのように表現するかが,科学への信頼や合意の知覚に強く影響することを示している.

特に,IPCCが標準として採用してきた"unlikely" "the likelihood is low"といった否定的表現は,

  • 起こらないことに焦点を当てさせ,
  • 事象の重要性を軽視させ,
  • 科学的根拠や合意の印象を弱める,

という複合的な影響を持つことが明らかとなった.

一方で,肯定的表現や数値表現は,科学的な慎重さを保ちながらも,聞き手に「科学者はこの結果を支持している」という印象を与えやすい.

著者らは,これを単なる「語彙の問題」ではなく,科学コミュニケーションの根幹に関わる課題として位置づけている.


提言と結論

著者らは次のように提言している.

否定的表現よりも肯定的・数値的な表現を推奨する.

例:"There is a low probability of severe drought"の方が,"It is unlikely that severe drought will occur"よりも望ましい.

補完的に“likely”を使う場合でも,否定を伴う構文"likely not"は避けるべきである.

言語的確率表現は単なる数値対応表ではなく,社会的・心理的含意をもつ道具箱として理解する必要がある.


本研究は,科学的不確実性を伝える「形式そのもの」が,受け手の理解や信頼を方向づけうることを実証的に示した点で重要である.気候科学における不確実性の伝達は,単に正確さだけでなく,受け手が科学的合意をどう感じ取るかにまで配慮する必要がある.著者らは,今後の科学コミュニケーションでは,肯定的かつ明確な表現を選ぶことが,科学への信頼を損なわずに不確実性を伝える鍵であると結論づけている.

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新型コロナウイルスのパンデミックの際に,今まで好意的な印象を持っていたブログ(政治や科学とは無関係なジャンル)の著者が「科学者は断定的表現を使わないから信用ならない,そんな奴らは御用学者だ」という趣旨の主張を展開し,幻滅して二度とそのブログを見なくなったことを思い出した(もちろん,ほとんどの科学者は科学的正しさのためにそのような表現を使っており,そのような批判は全くもって見当違いである).

しかし,科学的不確実性をどう伝えるか,というのは非常に重要かつ難しい問題であり,人間の認知のクセを理解した上で適切な表現を選択することが,時として効果的である(科学的成果の社会実装などにおいて)といえる.ブログの例は,まさに「肯定的表現は『科学的根拠が強い』と受け取られる」の良い例だったのかもしれない.人間の認知のクセにより,実際とは逆の意図として伝わってしまう可能性がある,ということを研究者が知っておくのは有益だろう.いわゆるStoryline approachも同じような効果があるのかもしれない(と著者を見て連想した).

今後の科学コミュニケーションにおいて改善し得る点がいくつもある,という意味で,この論文はencouragingだと感じた.



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